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医療と介護は違う道を歩む、最後は繋がなければならない。

「医療」は地球を西側に回って、科学と人体の屍を踏みしめてもとの場所に戻ってくる。

「介護」は地球を東側に回って、生活と痛み苦しみの気持ちにぶつかりながらもとの場所に戻ってくる。

医療と介護は逆ベクトル

しかし、行先は違っているけれど、最終的には患者・病人・健康に戻ってくる。

地球は東洋と西洋で文化的にも違った歩みをとった。

これは、人間はどのように生きるべきかというかなり抽象的で宗教的なものだが、それぞれの人間のアイデンティティを構成する根底にあるものだ。

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東洋(日本)の文化と医療と介護

東洋は、気という概念で、すべてのものが繋がっていて、痛みや苦しみにも「気」の存在を無意識に考えるような文化だ。

病気は、が病んでいることであり、悪い気が体に溜まっている気がするので、マッサージしたり、お払いしたりする。

体が悪くなったことは、日ごろの行いが悪かったからと恥じて、罰(ばち)が当たったと思いこむ。

世間の眼から逃れたい気持ちになる。でも、自分と関係のない地域などで、自分が関わる世間が存在しないとすると、一気に羽目をはずすのだ。

儒教的な道徳心も染みついていて、目上の人、弱いものは、無条件に敬意と尊厳をもって接するということも特徴かもしれない。

戦後に欧米の影響を大きく受けたが、どこかこのような部分はのこっているんじゃないだろうか。

その延長に伸びていくのが、日本の社会保障であり、日本の文化に基づく介護 なのではないかと思っている。

欧米の文化と医療と介護

西洋は、契約の文化だ。何か過ちを犯してしまったら、自分の外にいる神に対して罪を感じて自分を律していくい。

病気は、悪いところを見つけて、その部分を除去してしまう。

体が悪くなったこと自体への関心ももちろんだが、そこから悪を退治して復帰するというサクセスストーリーが大好き。

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科学と現実の間の中心にいるのがリハビリテーションで、これからもそのかけ橋のような立ち位置

おそらくリハビリテーションは、医療と介護のかけ橋だ。

ただ、リハビリテーションという言葉を広義で考えると、それぞれの国によって関わり方や考え方は異なるだろう。

日本のリハビリテーションが、ここまで生活場面に抵抗なく踏み込めることに私は不思議に思うことがある。

おそらく、私たち、リハビリテーションを推進する人間の根底に、「日本人だったら、世間で繋がってるから生活に踏み込んでもある程度強制できる」という気持ちがあるんじゃないだろうか。

活動しない、参加しないことを、強制したいと思ってしまうのではないだろうか。

 

世間という概念が無かったら、強制をしようとしても難しい。

現に、地域社会から孤立する生活をしている人に対して、どんなに民生員や役所の職員が関わっても強制できない。

非協力的な人でも、どこかのコミュニティに参加し、人との交流があるならば、関わる人のために強制を需要することもある。

そういう意味で、日本での介護という仕事を私は、「コミュニティごと活性」に近道があるのではないかと思っている。

そのために、リハビリテーションの職をするものは、多様な価値観や行動規範に触れて、常にそのコミュニティーにとっての原点(回帰すべきコンフォートなゾーン)はどこかを追い続けることが必要なのではないかと思っている。

 

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